Artist Statement
北海道には歴史がないと、多くの人はいう。また同時に、北海道は自然が豊かだともいう。私は、それらの概念に疑問を持ち、北海道島が誕生してから現在に至るまでの歴史を辿りつつ、北海道が歴史の中でどのような意味を持ってきたのかについて探求している。
2024年現在、ロシアはウクライナと戦争を続けておりその終息は見えない。多くの日本人は遥か遠くの戦争のように感じているが、北海道がロシアと接している事実をあまり意識していないようだ。歴史的にみても、日本とロシアはその領土をめぐって戦争を繰り返しており、国の境界線は時代によって変容してきた。その北海道島には、本州と同じ時期の2万年以上前から人が生活してきたとされている。サハリンを経由してロシアや中国方面から人々が流入しており、文化的な交流の痕跡が発掘されている。そうした歴史的事実を踏まえ、北海道で暮らしてきた人々がいかに世界と繋がりを持ってきたのか、文化的なグラデーションを生んできたのかを探ることが私の主なテーマである。
そのテーマを写真で表現するための手法として、私は二つの文脈を参照し作品を制作している。一つは、ネイティブ・アメリカンの土地を雄大なランドスケープとして緻密に撮影した、アンセル・アダムス(Ansel Adams,1902-1984)の文脈。もう一つは、開拓者の手によって変容させられたアメリカの風景を冷徹なまなざしで描いたルイス・ボルツ(Lewis Baltz,1945-2014)をはじめとするニュー・トポグラフィックスの文脈である。なぜその二つの文脈を用いるかについては次の通りである。
まず、日本には「花鳥風月」という文脈があり、多くの日本文化に影響を与えている。日本の風景写真もその文脈にあるが、美しい自然に情感をのせて描くという日本的な手法では美意識が支配してしまい、北海道という土地の本質を見失うと考えた。そこで参照したのが、同じ開拓の歴史を持つアメリカ風景写真の文脈である。人類の移動の系譜から見て、北海道に流入した集団とアメリカ大陸に渡った集団は関係が深いことがわかっており、そしてどちらの国も、先住民族の土地を別の国へと作り替えた歴史を有している。それらの理由により、アメリカ風景写真の二つの文脈を参照した。
「北海道」と名付けられる以前の文化と、現代のそれは地続きであり、それらはまた、国という概念を超えてグラデーションのようにつながっている。しかしながら、開拓の歴史の名のもとに見えなくなってしまっているものがあるのも事実である。新しい文化がインストールされることで、それ以前の歴史との分断が起こり、争いも発生する。世界の有様が、ここ北海道でも起こっている。